ちょっと思ったんだけど、

正しい意見なんてない。けど、意見を言うことは大切なことでしょ?

見方を変えて問題に取り組むこと〜リベラルアーツの大切さ~

たくさん尊敬する先輩がいるけど、その中でも同じような分野を違う学問の観点から勉強している先輩とお話する機会があった。

 

リベラルアーツという言葉は、まだ日本では普及してるようには思えない。日本の大学を卒業したら、学部学科にほとんど関係なく様々な業界の職種に応募できるのに、リベラルアーツという考え方はまだ馴染みがないように感じる。

 

簡単に言えば、リベラルアーツ=教養、ですね。東大の教養学部とかが一番聞くのかな?

 

リベラルアーツの考え方=広く浅く、かもしれないけど、私は「いろんな観点から問題に取り組む」という意味で捉えるし、そういうリベラルな人になりたいなって思う。昨日は先輩のおかげで、その重要性と社会でのリベラルの必要性を再確認できた。

 

先輩が使った例で説明してみますね。

 

2011年東日本大震災にて、ある地域が津波による被害を大きく受けました。ここではA村と呼びます。A村は、海沿い広がる地域で、海には幅25Mほどの防潮堤が慶長時代など昔の災害から人々が学び、設置されていました。

 

ですが、残念ながら2011年の地震による津波は、この巨大な防潮堤をも優に超えるものであったため、防潮堤は全くといって役割を果たすことなく、一部が壊れるなどのダメージを受けました。

 

さぁ、これからの災害に備え、国・地方自治体は次の災害対策を考えています。ここには、経済担当・エンジニア・人類学者がいます。それぞれの災害対策へのプランを聴いてみると・・・

 

経済「防潮堤を修復するには莫大なお金がかかる。被害による経済的損害と、修復にかかるコストを考えると、お金をかけてでも修復するべきだ。」

→防潮堤を補正するプラン。

 

エンジニア「この防潮堤は一部が崩壊したけれど、今の技術、さらに開発をすすめていけばより頑丈なものが作れる。それに、この防潮堤が少しは津波の力を弱めたに違いなから、新しい防潮堤が必要だ。」

→防潮堤を新しく作るプラン。

 

人類学「防潮堤を修復、新規に作ることどちらも必要ない。そもそもA村は海と昔からゆかりのある地であり、人々は海と共に生活をしていたため、海の状況を確認することが日常の一部である。だが、それが防潮堤により壁ができてしまったために、海の状況を確認することができなかったため被害が拡大したのだ。そもそも防潮堤は必要なかった。」

→防潮堤自体が不必要プラン。

 

みなそれぞれの分野においてスペシャリストであるため、自分の意見が正しい、ベストであると考える。ここでリベラルの考え方、リベラルに考える人が必要になると先輩は教えてくれた。

 

どのプランも正しい。理論がある(今回は詳しい説明や補足を例だから省略してるけど)。どの意見にも平等に、「私たち」ではなく、「A村」にとって今後最適なプランはなにかを考える。それにはリベラルという、様々な知識を身につけておく必要があるということ。

 

お金がかかるのは多くの人が知ってるから、私もお金のことは考えた。また私は、理系として技術や構造系に専門をおいているため、防潮堤が少しでも被害を抑えたと思い、新しいものを築いた方がよいとまでは思いついた。

 

だが、最後の人類学者の「なにもしない」というプランと、それを補足する人類学ルーツの根拠は思いつかなかったし、聞いたときになるほど・・・と思った。

 

人生は勉強ですね〜〜〜!(まとめが雑)